今日のお昼は小学校の日本人ママ達とタイ料理を食べました。
実際に多国籍の人達が住んでいるので
レストランも本当に多国籍。
手軽な値段で食べてきました。
そこで出た話なんだけど、2年生の子で、多動症かなんかで大人が一人つきっきりの子供がいるんだそう。
こっちは申請すれば1年間大人が一日中付いてくれるんです。
すごいでしょ。
それはいいとして、その子の成績がいわゆる「オール6」レベルらしいのね。
ここは6段階評価だから日本だとオール5ってこと。
体育とか音楽とか、そういうのがどういう評価になってるのかは全然分からないんだけど
とにかく算数とか英語とか、そういうお勉強は飛び抜けてできるってことでしょう。
すぐに「インディゴチルドレン」という言葉が思い浮かびましたね。
これからそういう子供がどんどん増えてくるんでしょうねー。
アメリカは飛び級とか算数だけ上の学年とか、そういう自由は利きやすいからまだいいんだけど
日本では生きにくい子供達なんだろうなあと思いました。
会社とかね。
教育も、どんどん個別に対応しないといけなくなって来ているし
家族も変わった子供達に対応していかないといけない。
この時代に生まれてきて良かったと改めて思ったのでした。
これから10年、絶対に面白いって。
特等席で、今の時代を眺めてみたいと思ったのでした。
ちょっと意味深。
治療教育って、結局一対一なんだよね。クラスに教師が1人いて子どもが5人いたら、補助の人が4人いたりするんだって。それでも子どもが逃げ出して、警察が捜したりするらしいよ。
今うちの子の学校は多いクラスで25人くらい、少なくて15人だけど、補助がついてるのは1年生だけ。
さてこれで、どんどん子どもに個別に対応しないといけないということになったら、ま、経営は成り立たないねえ。今でも学費、年間120万超えてるのにさ。
マイミクのHanaさんのとこの、キャンプヒル内の治療教育施設も、閉鎖の方向なんだって、あんまりお金がかかるから。補助金だけでやってる施設らしいんだけど。
投稿情報: chiko | 2007年12 月19日 (水) 14:58
そりゃあ無理でしょ。
よっぽど少子化が進んで、どんなに変わった子でも育てますっていう社会じゃないと、
弱肉強食の世界で、手のかかる子は置いて行かれるのは仕方がないな。
障害者施設とか治療教育とかって、社会構造そのものを変えていかないといけない話でしょ。
じゃないと、お金持ちの子対象になっちゃう。
それってすごく変だと思うんだよね。
だって、障害のあるお金持ちの子を救うのと、貧乏だけど有能な子を救うのと、どっちかだったらどっち取る?って話になるでしょ。
障害のある子に手をかけることで、人間の本質の研究になるっていうんだったら、それは福祉じゃなくて研究なわけだし。
アメリカのキャンプヒルの本質的な矛盾だな。
投稿情報: ふぃん | 2007年12 月19日 (水) 19:53
違う違う。Hanaさんとこは、イギリスのキャンプヒルで、親がアル中だったりする家の障害児も送られてくるような、無料のとこ。それでもあんまりお金がかかるから閉鎖しようって話があるんだって。
で、アメリカの障害児対象の治療教育は、さすがに国からの補助金がでてて、あと、アメリカって障害児個人に対して国からの補助があってそれで月謝を払えたりするらしい。だからいくら払ってるかは、個人によって違うらしいし、それも州によって違うからよくわからないんだけど。
で、キャンプヒルが高額であることの意義は、お金持ちな人のお金を、社会的に(その障害者個人のためだけじゃなくて)有意義なことに使わせるためにある気がしてきたよ。キャンプヒルって、障害者のためにあるんじゃなくて、その障害者を中心にして仕事をすることで、まーぶっちゃけて言ってしまえば、キリストが降りてくる未来の器を作るためにあるので、言葉を変えると宗教儀式をしてることと同じ意味になるんじゃないかと考える今日この頃。そしてシュタイナーの考える宗教儀式は、そこに参加してる人のためだけじゃなく、その土地の精霊のため、つまりは地球そのもののためにこそ意義があることなのだった。
シュタイナーはキリストは今後、個人には降りてこない、集団のなかに降りるって考えていて、それは高次の霊がそもそもどういう存在かって解釈してるかにかかってくるので、だんだんわけわからん世界だけどさ・・・。
投稿情報: chiko | 2007年12 月20日 (木) 05:41
あのさ、いつも書くけど「なにが見えてる?」サイトのちゅまちゃん、毎夜、地球のグリッド修復の仕事をしてるらしいけど、自分は宇宙では下っ端なんだって。で、ダウン症の人なんかは宇宙ではすごく位が高くて、なにしてるか自分にはわからないくらいだって。
で、全然別の人のところで読んだんだけど、人の波動が見える人らしいんだよね。で、やっぱりダウン症の人なんか、ものすごく波動が高い、つまり霊的にエライ人なんだって。つまり、個人のカルマだけじゃなくて、人類全体のカルマの必要性から、障害者という形で今生生まれて来ている人たちなわけだな。
今後、このスピブームがどこに行くのか知らないけど、もし本当に深まってレベルが上がって、こういう認識がもう少し広がったら、障害者福祉とかって、根底から意識が変わるかもとは思うんだけどね。ま、人間にそこまで期待できるかはナゾだけどさ。
投稿情報: chiko | 2007年12 月20日 (木) 05:46
イギリスは補助金が出てるから無料でいいね、とかそういう話ではなくて、社会のお金を正常な人に使うか、障害のある人に使うかっていう意味で前のコメントは書いているので、アメリカでもイギリスでも関係は無いのだ。
でもキャンプヒルが修道院っていう意味合いだったら、すごく状況が理解できる。
昔はお金持ちはお寺に多額の寄付をすることで地域に貢献してたんだな。宗教にお金を出すことで、地域の霊性を高めてた。そういう仕組みが生きてたんだよね。
今は宗教がちゃんと機能しなくなって、次の段階に行く途中なんだろうね。
実際「巫女」って正常な人間じゃない方がよくて、神懸かりは知的障害者の方がいいんだろうし
ダウン症の人はみんな聖職者にしちゃうっていうのは理にかなっていると思う。
キャンプヒルがそっちの方向に向かってるって、理解できている人は少ないだろうね。
補助金を出すか出さないかの議論をしてる人も。
やっぱり今風にアピールの仕方を考えた方がいいんじゃない?
使う言葉とかを昔のままにしておくからカルトっぽくなるんじゃないのかなー。別にいいけど。
古い物が逆に新しくなるってこともあるだろうけど。
ヤッターマンが実写になる時代だし。(信じられない・・・)
宗派ごとの枠組みを取り払って、本当の意味での聖職者や、修道院の定義が必要になってきてるよね。
仏教も何もかも全部ひっくるめて。
その中心にいるべきは知的障害者なんでしょう。
Chikoちゃん、英語で演説するのだ!論文書くのだ!
そうそう越智啓子さんも、知的障害者はいわゆる成仏してない霊をばんばん上に上げてるって言ってるよね。
だから死んだあとに、数百人とか数千人とかから「ありがとう」って言われるんだって。ちょっと感動的。
それってそのまんま聖職者だし、しかも本人は体を張って人生を賭けてやってるわけだから、並みの聖職者じゃないよね。
聖人そのもの。
そういう認識が本当に広まれば、どうして貧乏で有能な人に投資をせずに、知的障害者に投資しないといけないのか、きちんとみんなが理解できるようになるんだろうね。
私の友達の妹さんが精神科に通院してたとき、友達と一緒になって1200人成仏させたって言ってたよ。後から1200人が一斉に感謝しに来て、感動して号泣したって言ってた。(彼女この日記見てるかもしれないけど。)
そのうち精神科の勉強もしようと思っているのけど(いつだ?)
西洋医学の精神病患者さんの扱いも変わっていかないといけないだろうねー。
どこから手をつけたらいいのか、って感じだけど、私はとりあえず学位ですか?
それも信じられない・・・
ま、オーラとか天使を見るのは先らしいからねー。
仕方ない。できることからやりましょう。
この長いコメント、読んでる人ほとんどいないだろうなー。
投稿情報: ふぃん | 2007年12 月20日 (木) 09:05
ちょっと思ったんだけど、トライフォームでもその認識はしっかりとは伝えてないよね。親に。
Chikoちゃんの日記に書いてたでしょ、「子供が20才くらいになって、確実に子供が知的障害者だってことになって親が泣く場所がトライフォームだ」って。
でもトラフォームのスタッフが、知的障害者の宇宙での役割とかを心から解説してあげられれば、親の一番奥の部分が癒されると思うんだけど。
そういう子供が自分の所に生まれてきた意味とか。
私も英語ができないからさ、トライフォームの人たちがどこまで分かってやってるのか、そのあたりはさっぱり分からないんだけど。
みんながきちんと理解できてれば、素晴らしいことだと思うけど。なんかもっと脳天気だよね。
聖書の言葉を読むことよりも、ずっと大事なことだと思うんだけどなー。
あー、やっぱり目の前の問題は英語力か。
投稿情報: ふぃん | 2007年12 月20日 (木) 09:20
あのさ、アメリカで他人に振ってはいけない話題の第一位が「宗教」って話あるでしょ。実はトライフォームに子どもを預けてる親って、シュタイナーに興味がある人の方がずっと少ない。ほとんどいないっていうくらい。で、それぞれ熱心なユダヤ教徒だったりカトリックだったりプロテスタントだったりする。で、この3つの宗派とも生まれ変わりを認めていない。だから人生1回しかないんだ。で、宇宙での役割なんて話はダメなんだよ聖書に出てこないから(笑)
キャンプヒルに長くいるスタッフはもちろんシュタイナー用語での障害者の役割は知ってて、キャンプヒルを始めたカールケーニッヒなんかも「障害者は我々の教師」って言ってた。ニューエイジ風にハデに言うなら、「マスター」とか言ってもいいんだろうけど。
で、ここで親にお金出してくださいっていうとき、そういうキャンプヒルの霊的な役割を、霊的な用語を一切使わずに説明しようとして、すごい苦労している(笑)社会的に有意義な施設っていう言い方しかできないんだな。もう一歩「未来のために」って付け加えるのがせいぜいだ。
やっぱりもう少し社会全体の意識が変わらないと、公の場では口にできないことなんだな。で、ふと思ったんだけど、英語の本でも知的障害者をエライ人みたいに書いた本ってあるのかな?ドリーンには一切でてこない。特殊な役割の人、くらいの認識はあるだろうけど。日本人の方がこういう感覚は受け入れやすいんだと思うよ。
本当に、うんざりするくらい長いコメントだねえ(笑)
投稿情報: chiko | 2007年12 月21日 (金) 06:41
タイトルの「ママ友ランチ」からは、この内容は想像できないでしょう(笑)
最近アメリカの現状も分かりつつあって嬉しいな。
カウンセラーや医療に関してはかなり調べたし。やっぱり「ネットはすごい」と思うわけだけど。
日本とアメリカの現状を理解した上で、どっちが自分にとって面白いのか、結局良いとこ取りを、どううまくやっていくかなんだけど、人生楽しめればいいねー。
子供をヨーロッパに派遣する計画は最近ちょっと厳しくなってきた・・・
投稿情報: ふぃん | 2007年12 月21日 (金) 09:47